歌手ウルフルズ的头像

ウルフルズ

小档案  ウルフルズ (ulfuls) は、日本のロックバンド。1988年に結成。1992年、東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。公式ファンクラブ名は「ウルフルクラブ」である。  トータス松本(ボーカル、ギター)  ウルフルケイスケ(ボーカル、ギター)  ジョン B チョッパー(ベース、コーラス)  サンコンJr.(ドラム、コーラス)   大事件  1988年、英語の歌詞を用いたネオ サイケバンド、D'fで活動していたウルフルケイスケが、大阪中津のインド喫茶「カンテ グランデ」(通称:カンテG)のバイト仲間であるトータス松本を何度かセッションに誘ったのち、D'fを脱退。松本らとともにウルフルズを結成。その後、ドラマーが脱退したため、客としてライブに来ていたサンコンJr.を勧誘。バンドに迎え入れた。  バンド名は、メンバーお気に入りのLPレコードのジャケットの帯にあった「ソウルフル」が改行のため「ウルフル」と読めたことに由来する。オオカミとは無関係。  1990年6月に東京での初ライヴ。1992年5月13日に東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。6月17日ファーストアルバム『爆発オンパレード』をリリース。  1996年、6枚目のシングル『ガッツだぜ!!』、続く7枚目のシングル『バンザイ 好きでよかった 』、サード アルバム『バンザイ』をリリース。アルバム『バンザイ』は100万枚を超える累計売上を記録した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。その際「『ガッツだぜ!!』の歌詞の一部が卑猥だ」として歌詞を変えるか否かが問題となり、最終的に一部分のみを変更した。  1999年、ベース担当のジョン B チョッパーが脱退し作家に転身。3人編成となる。  2001年、『明日があるさ』をリリース。同年、吉本興業オールスターズとも言えるRe:Japanとのコラボレーションで再び紅白歌合戦に出場した。  2002年『ウルフルズ10周年5時間ライブ!!  50曲ぐらい歌います 』にジョン B チョッパーが出演。2003年6月1日に日比谷野外音楽堂にて行われたフリーライブにて正式に復帰、再び4人編成となった(ジョン B チョッパー脱退時、ライブやレコーディングを支えていたベーシストは、順にCHIROLYN、上野イチロー、高橋"Jr."知治の3人である。2000年以降2007年現在まで、ライブはキーボードの伊東ミキオを加え、5人で行っている。一部イベントやライブを除く。大々的に一般募集もしたが、かなりの応募があったが適役がいなかったとのこと。)  2003年に発売された『ええねん』は関西では「この年の日本シリーズで日本一を逃した阪神タイガースのファンの気持ちを代弁する曲」としても受け入れられたという見方がある[1]。もっとも、この曲が完成したのは阪神タイガースがリーグ優勝を決める2か月近く前のことである。『ええねん』は地元大阪のラジオ局FM802のOSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。  2007年1月1日にワーナーミュージック ジャパンに移籍。同時に、2007年に発売するシングル『情熱 A GO-GO』の歌詞を発表した。